― 技術の進歩と、8,000年の歴史を受け継ぐ覚悟 ―
皆さんは、オレンジワインにどのような印象をお持ちでしょうか。
琥珀色の外観、紅茶のような渋味、複雑な香り、あるいは独特の酸化的なニュアンス。
近年では、ナチュラルワインを語るうえで欠かせない存在となり、世界中の造り手がさまざまな解釈でオレンジワインを生み出しています。
しかし、私はオレンジワインというものを、単なる色や味わいのカテゴリーとして捉えることに、少し違和感を覚えることがあります。
なぜなら、その背景には、私たちが想像するよりも遥かに長い歴史と、人間が自然と向き合ってきた痕跡があるからです。
今回は、オレンジワインの醸造技術を紐解きながら、その良いところと悪いところ、そして伝統を受け継ぐことの意味について考えてみたいと思います。
01|最も古い醸造技術のひとつ、マセレーション
ワインの醸造方法のひとつに「マセレーション」があります。
英語では Maceration(マセレーション)、フランス語では Macération(マセラシオン)。
ブドウの果皮や種子を果汁、あるいは発酵中のワインに接触させることで、色素やタンニン、香味成分などを抽出する工程です。
ワイン造りにおける最も古い技術のひとつとも考えられます。
現在、考古学的に確認されている最古級のブドウワインの痕跡は、紀元前6000〜5800年頃のジョージアに遡ります。
今からおよそ8,000年前、新石器時代のことです。
当時、人々が保存していたブドウ果汁が、ブドウの果皮などに存在する野生酵母によって自然に発酵し、偶然ワインが生まれたのではないかと考えられています。
もちろん、これはワイン誕生に関する仮説のひとつです。
当時の醸造工程のすべてが解明されているわけではありません。
しかし、ブドウを潰し、果汁と果皮を一緒に発酵させるという行為は、特別な醸造設備を必要としない、極めて原始的な方法であったと推測できます。
つまり、現代ではオレンジワインの特徴として語られる「果皮とともに発酵させる」という技術は、人類がワインを造り始めた頃の姿に近いものなのかもしれません。
ただし、マセレーションそのものはオレンジワインだけの技術ではありません。
赤ワインの醸造でも広く用いられています。
黒ブドウを果皮とともに発酵させれば、果皮に含まれるアントシアニンなどの色素が抽出され、赤ワイン特有の色調が生まれます。
一方、白ブドウを果皮とともに発酵させることで、通常の白ワインとは異なる色調や香味、骨格を持つワインが生まれます。
これが、現在一般にオレンジワインと呼ばれているものです。
厳密には、オレンジワインはブドウの品種名でも、特定の醸造容器を指す言葉でもありません。
果皮との接触を伴う白ブドウの醸造スタイルなのです。
02|なぜ白ワインは果皮を取り除くようになったのか
ここで少し、白ワインの歴史を振り返ってみましょう。
白ブドウを果皮とともに発酵させる方法は、ジョージアをはじめ、いくつかの地域で伝統的に受け継がれてきました。
一方で、果皮を取り除き、果汁だけを発酵させる白ワインの造り方にも長い歴史があります。
20世紀に入ると、醸造設備や科学的な知識が大きく発展しました。
特に温度管理、圧搾技術、酸化防止技術の向上によって、白ワインの表現は飛躍的に広がっていきます。
例えば、低温発酵。
発酵温度を適切に管理することで、揮発性の香気成分の損失を抑え、フレッシュな果実香を表現しやすくなりました。
また、果皮を早い段階で取り除くことで、過度なフェノール類の抽出を避け、繊細で軽やかな口当たりを実現することもできます。
こうして、果実の純粋な香りや透明感を重視する白ワインが広く普及していきました。
ただし、ここで誤解してはいけないことがあります。
果皮を取り除くことが技術の進歩であり、果皮とともに発酵させることが古い技術だから劣っている、というわけではありません。
醸造技術の進歩とは、造り手が表現したい味わいに対して、より多くの選択肢を持てるようになったということです。
マセレーションを行うことも、行わないことも。
そのどちらも、造り手の意図によって選ばれるべき技術なのだと思います。
03|オレンジワインの良いところと、悪いところ
では、オレンジワインには具体的にどのような長所と短所があるのでしょうか。
ここからは、少し醸造学的な観点で考えてみます。
ブドウの果皮には、タンニンをはじめとするさまざまなフェノール性化合物が含まれています。
また、品種によっては香りの前駆体や芳香成分も存在します。
果皮とともに発酵させることで、これらの成分がワインに抽出され、味わいに複雑さや奥行きが生まれます。
例えば、一般的な白ワインでは酸味が骨格の中心になることが多いのに対し、オレンジワインではタンニンによる収斂性が加わります。
この収斂性とは、口の中が乾くように感じられる感覚のことです。
タンニンが唾液中のタンパク質と相互作用することで生じると考えられています。
この構造が加わることで、白ワインでありながら赤ワインに近い骨格を持つものも生まれます。
また、フェノール類の抽出によって、ワインの酸化反応に関わる成分構成も変化します。
ただし、フェノール類が豊富だからといって、必ずしも酸化に強いワインになるとは限りません。
フェノール類は酸化反応に関与する一方で、酸化によって褐変や香味の変化を引き起こすこともあります。
つまり、果皮との接触は、ワインの複雑さを増す可能性があると同時に、醸造上の管理を難しくする側面も持っているのです。
そして、もうひとつ重要なのが、抽出の程度です。
マセレーションの期間が長くなれば、一般に果皮や種子から抽出される成分は増加する傾向にあります。
しかし、長く漬け込めば漬け込むほど美味しくなるというものではありません。
過度な抽出によって、強すぎる苦味や渋味が生まれることもあります。
また、果皮由来の成分が強く表れることで、ブドウ品種本来の繊細な果実香が感じ取りにくくなる場合もあります。
例えば、非常に華やかな芳香を持つブドウであっても、長期間の醸しによって香りの印象が変化し、果実そのものよりも紅茶やドライフルーツ、スパイスを思わせる香りが前面に出ることがあります。
もちろん、それが魅力になる場合もあります。
しかし、ここで考えたいのは、
複雑であることと、優れていることは必ずしも同じではない。
ということです。
私は、ワインの品質を判断するとき、香りや味わいの強さだけではなく、それぞれの要素がどのような均衡を保っているのかを大切にしています。
酸味、タンニン、アルコール、果実味、そして余韻。
それぞれが主張しながらも、互いを損なわずに存在していること。
それが、ワインの美しさを形づくるひとつの要素ではないでしょうか。
そして、醸しという技術もまた、その均衡を生み出すための手段のひとつなのです。
04|オレンジワインは、なくなってしまうのか
近年、世界各地でオレンジワインが造られるようになりました。
長期間のマセレーションによって、力強い骨格を表現する造り手。
数日間だけ果皮と接触させ、香りや質感にわずかな変化を与える造り手。
あるいは、白ワインの一部に醸したワインをブレンドし、味わいの奥行きを調整する造り手もいます。
つまり、かつて伝統的な醸造方法として受け継がれてきた技術が、現代ではさまざまな表現を生み出すための手段として活用されているのです。
これは醸造技術の進歩を示す、素晴らしいことだと思います。
しかし、私はそこに少し寂しさも感じています。
オレンジワインという存在が、単なる流行や、醸造上の選択肢のひとつとして消費されてしまうことに。
もちろん、オレンジワインというスタイルそのものが、すぐになくなるとは思っていません。
むしろ、これからもさまざまな解釈によって発展していくでしょう。
私が寂しく感じるのは、ワインの色や味わいだけが注目され、その背景にある文化や歴史が置き去りにされてしまうことです。
そもそも、伝統的な醸造方法を守ることと、現代の技術を取り入れることは、相反するのでしょうか。
私はそうは思いません。
むしろ、伝統を守り続けるためにこそ、技術の進歩が必要なのではないでしょうか。
05|ジョージアの造り手たちが受け継ぐ、8,000年の歴史
今から2年前、愛媛でジョージアの造り手の方々とメーカーズディナーを開催しました。

ジョージアは、現在確認されている最古級のブドウワイン醸造の痕跡が発見された土地です。
彼らの故郷には、およそ8,000年前にまで遡るワイン文化があります。
その長い歴史の中で、ワインは単なる飲料としてだけではなく、人々の暮らしや信仰、祝祭、家族の繋がりとともに存在してきました。
彼らとお話しする中で、私はあることを感じました。
彼らが残したいものは、単に古い醸造技術ではないのではないかと。
それは、先祖から受け継いできた文化であり、土地に対する敬意であり、次の世代へ繋いでいく覚悟なのではないでしょうか。
近年、気候変動によって世界中のワイン産地がさまざまな課題に直面しています。
気温の上昇は、ブドウの糖度や酸度、フェノール類の成熟に影響を与えます。
糖度が上昇しても、果皮や種子の成熟が同じ速度で進むとは限りません。
そのため、収穫時期の判断や醸しの期間、抽出方法について、これまで以上に繊細な選択が求められることもあります。
特に果皮とともに発酵させるワインでは、果皮や種子の成熟状態が味わいに大きく影響します。
熟度が不十分な状態で強い抽出を行えば、粗い渋味や青さが目立つこともあります。
反対に、熟度が高すぎれば、アルコール感や果実の重さが前面に出て、全体の均衡を失う可能性もあります。
だからこそ、伝統的な醸造方法を続けることは、決して昔と同じ作業を繰り返すことではないのだと思います。
毎年異なるブドウの状態を見極めながら、その年に必要な選択をすること。
新しく届くジョージアのワインをテイスティングするたびに、私はそのような造り手の姿を想像します。
何を変え、何を残すのか。
その判断の積み重ねが、彼らのワインを形づくっているのでしょう。
06|土の中でワインを育てる、クヴェヴリという存在
ジョージアの伝統的なワイン造りを語るうえで欠かせないのが、「クヴェヴリ(Qvevri)」です。
クヴェヴリとは、卵型をした大型の土器のこと。
一般的には地中に埋められ、ワインの発酵や熟成、貯蔵に使用されます。
現代では土器を用いた醸造を広くアンフォラ醸造と呼ぶこともありますが、クヴェヴリはジョージア固有の伝統を持つ醸造容器です。
そのため、私はこの文化を説明するとき、できる限り「クヴェヴリ」という言葉を使いたいと思っています。
地中に埋められたクヴェヴリは、周囲の土によって外気温の急激な変化から守られ、比較的安定した温度環境を保つことができます。
また、伝統的な製法では、果汁だけでなく果皮や種子、ときには果梗も一緒に仕込まれます。
発酵が進むにつれて果皮などの固形物が浮き上がり、やがて発酵が落ち着くと、徐々に沈降していきます。
この過程で、ワインには果皮や種子由来の成分が抽出されていきます。
ただし、すべてのクヴェヴリワインが長期間のマセレーションを行うわけではありません。
地域やブドウ品種、造り手の考え方によって、果皮との接触期間や果梗の使用割合は異なります。
そして、土器そのものが必ずワインを美味しくするわけでもありません。
クヴェヴリの材質、内面の処理、洗浄状態、酸素との接触、発酵管理などによって、ワインの仕上がりは大きく変化します。
伝統的な製法だからこそ、衛生管理や微生物の制御には細心の注意が必要です。
その意味でも、クヴェヴリ醸造は決して簡単な方法ではありません。
土器にブドウを入れておけば、自然が勝手に素晴らしいワインを造ってくれる。
そんな単純なものではないのです。
自然に委ねる部分と、人間が責任を持って管理する部分。
その境界を見極めることこそ、造り手の経験と技術が問われるところなのだと思います。
そして2013年、ジョージアの伝統的なクヴェヴリによるワイン造りは、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
ここで評価されたのは、単に土器を使うという醸造技術だけではありません。
家族や地域社会の中で受け継がれてきた知識、習慣、そしてワインを中心とした暮らしの文化です。
私は、この点が非常に重要だと思っています。
07|小さなクヴェヴリが教えてくれたこと
ジョージアの造り手の方々とお話ししていたとき、私はある贈り物をいただきました。
それは、小さなクヴェヴリでした。
「これで飲んだら、なんでも美味しくなるよ。」
そう言って手渡してくれたのです。
ジョージアでは、伝統的な宴席などで「ピアラ」と呼ばれる器を使ってワインを飲む文化があります。
麻ときでも使用していますが、彼らからいただいた小さなクヴェヴリは、日本の常滑焼にどこか似ていました。
土の質感や色合い、手に取ったときの温かみ。
遠く離れたジョージアという国に、不思議な親近感を覚えたことを今でも記憶しています。
さらに彼らは、
「愛媛には海があって、南に行けば真珠も有名だよね。僕らの黒海でも真珠が採れるんだよ。」
そう言って、パールのイヤリングまでプレゼントしてくれました。
ワインを通じて出会った異国の人々が、私の暮らす愛媛のことを知り、文化の共通点を見つけてくれたこと。
それが、とても嬉しかったのです。
いただいた小さなクヴェヴリで、煎茶やワイン、ハーブティーなどを飲んでみました。
すると、不思議なことに、どれも口当たりが柔らかく感じられました。
もちろん、これは私自身の感覚です。
器の素材や形状、飲み口の厚み、表面の質感、飲み物の温度などによって、味わいの感じ方が変わることは考えられます。
しかし、それだけでは説明できないような感覚もありました。
もしかすると私は、飲み物そのものだけではなく、その器に込められた文化や、贈ってくれた人々との時間まで味わっていたのかもしれません。
ワインを飲むという行為は、単に液体を口に運ぶことではないのでしょう。
どのような土地で生まれ、誰が造り、どのような器で飲み、誰と時間を共有するのか。
そうしたすべてが、味わいの記憶を形づくっているのだと思います。
何千年もの歴史を持つ土器の文化を、現代に生きる彼らが大切にしていること。
そして、それを遠く離れた日本に暮らす私にも分け与えてくれたこと。
私は、その行為そのものに深く感動しました。
08|伝統を守るとは、変わらないことなのか
ここで、最初の問いに戻りたいと思います。
オレンジワインの良いところと、悪いところ。
醸造学的に考えれば、果皮との接触によって複雑な香りや骨格を生み出せる一方で、過度な抽出や酸化、微生物による変質などのリスクもあります。
しかし、それらは必ずしもオレンジワイン固有の欠点ではありません。
どのような醸造方法にも長所と短所があり、重要なのは、その技術をどのような目的で選択するかということです。
私は、伝統についても同じことが言えると思っています。
古い方法を続けることが、必ずしも伝統を守ることになるとは限りません。
例えば、気候が大きく変化しているにもかかわらず、昔と同じ収穫時期や醸しの期間に固執することが、本当に土地の個性を守ることになるのでしょうか。
反対に、現代の技術を取り入れ、醸しの期間を短くしたり、温度管理を工夫したりすることは、伝統を捨てることになるのでしょうか。
私は、そうではないと思います。
むしろ、伝統を未来へ繋ぐためには、変化を受け入れる勇気も必要なのではないでしょうか。
ただし、ここには難しさもあります。
技術の進歩によって、ワインの欠点を減らし、品質を安定させることは可能になりました。
一方で、すべてのワインが同じような完成度や味わいを目指すようになれば、土地や文化に由来する個性が薄れてしまう可能性もあります。
もちろん、醸造上の欠陥を個性として正当化することには賛成できません。
揮発酸や酸化的なニュアンス、還元臭などは、その種類や程度によって、複雑さとして感じられる場合もあれば、ワイン本来の魅力を覆い隠してしまう場合もあります。
大切なのは、欠点を無条件に肯定することでも、すべての個性を排除することでもないと思います。
そのワインが何を表現しようとしているのか。
そして、その表現に対して、醸造上の選択が適切であったのか。
そこに目を向ける必要があるのではないでしょうか。
09|私たち飲み手が、未来に残せるもの
私は、オレンジワインが単なる流行として消費されてしまうことに、寂しさを感じると書きました。
しかし、今は少し違う考えも持っています。
オレンジワインという言葉が広まったことで、それまでジョージアのワイン文化を知らなかった人々が、その歴史に興味を持つきっかけを得たことも事実でしょう。
ひとつの流行が、古い文化への入り口になることもあるのです。
そう考えると、流行そのものが悪いわけではありません。
問題は、その先にあるものを知ろうとするかどうかなのだと思います。
オレンジワインだから選ぶ。
ナチュラルワインだから美味しい。
クヴェヴリで造られているから素晴らしい。
そうした判断だけでは、ワインの本質を見落としてしまうかもしれません。
なぜ、その造り手は果皮とともに発酵させたのか。
なぜ、ステンレスタンクではなくクヴェヴリを選んだのか。
なぜ、その土地で、そのブドウを育て続けているのか。
その問いを持つことで、私たちはワインの向こう側にいる人間の姿を、少しずつ理解できるようになるのではないでしょうか。
私は、ワインを販売する立場として、その背景を伝えることにも責任があると思っています。
美味しいワインを紹介することは、もちろん大切です。
しかし、それだけではなく、そのワインが生まれた理由や、造り手が守ろうとしているものまで伝えられたなら。
私たち飲み手もまた、文化を未来へ繋ぐ一端を担えるのかもしれません。
伝統とは、過去の形をそのまま保存することではなく、何を失ってはいけないのかを考え続けること。
そして、技術とは、その大切なものを未来へ残すために存在するのではないでしょうか。
8,000年という時間の中で、ワインは幾度となく姿を変えてきました。
これから先も、気候や技術、人々の価値観によって変化していくことでしょう。
それでも、ブドウを育て、収穫し、発酵させ、誰かと分かち合うという営みは、これからも続いてほしいと願っています。
あの日、ジョージアの造り手からいただいた小さなクヴェヴリ。
手のひらに収まるほどの土器ですが、私にとっては、遠い国の歴史と人々の誇りを感じさせてくれる大切な存在です。
オレンジワインの良いところも、悪いところも。
その両方を理解したうえで、それでもなお、この造り方を選び続ける人々がいる。
私は、その選択にこそ、敬意を払いたいと思います。
ワインの価値とは、完成された液体の中だけに存在するものではないのですから。
