麻とき ASATOKI

006 数年前、フランス人と喧嘩した話を思い出す。

006 数年前、フランス人と喧嘩した話を思い出す。

——ご加護を受けられる、日本人特有の考え方

ここまでコラムを読んでくださり、本当にありがとうございます。

これまでのお話を通して、ワインに対する考え方の中にあった、しこりのようなものが少しずつ解けてきたのではないでしょうか。

今回は、私自身が経験した、ある出来事についてお話ししたいと思います。

もう3年ほど前になるでしょうか。

夕方頃の麻ときに、60代くらいのフランス人女性2人組がいらっしゃいました。

彼女たちは店内でワインを飲みたいとおっしゃいましたが、閉店10分前だったこともあり、やむなくお断りしました。

その代わりに、ワインを購入してホテルで楽しんでいただくのはどうでしょうか、とご提案しました。

すると、

「あなたのおすすめのソーヴィニョン・ブランを教えて」

と。

私は5種類のソーヴィニョン・ブランを選びました。

チェコ、オーストリア、日本、スロヴェニア、南アフリカ。

フランス産は、あえて選びませんでした。

彼女たちはしばらく相談した後、私が選んだソーヴィニョン・ブランではなく、別の日本ワインを購入して帰られることになりました。

そして帰り際、

「今夜、あと2人連れて戻ってくるわ。そのとき、あなたが選んでくれたソーヴィニョン・ブランを1本飲みたいの」

と、おっしゃってくださいました。

そして夜。

本当に4人で戻ってきてくださったのです。

再び、

「この中で、あなたの一番のおすすめは?」

と尋ねられた私は、自信満々に答えました。

「スロヴェニアのワインです!」

MOVIAのソーヴィニョン2018。

彼女たちは、そのワインをボトルで注文してくださいました。

4名は窓際のテーブル席へ。

そのとき私は、6席あるカウンターが満席だったこともあり、ほかのお客様の対応に追われながら、ワインの準備をしていました。

抜栓し、テイスティングを済ませ、皆さんにサーヴしました。

すると、テーブル席から男性の声が聞こえてきました。

「これはワインじゃない。」

そして、その男性がカウンターまでやって来たのです。

「君は、このワインをちゃんとテイスティングしたのか?」

たまたまカウンターにいらしたお客様方は英語が理解できる方ばかりで、一斉に彼へ視線が向けられました。

私「はい、もちろんです!」

男性「なるほど。しかし、これは僕たちが飲むワインとはまったく違う。君はシェリーというお酒を知っているか? その味がするんだ。」

私「はい、もちろんシェリーは知っています。ですが、これはシェリーとは違いますし、私はこのワインをとても美味しいと思っています。」

男性「君は間違っている。もう少し勉強した方がいい。澱がこんなに残っているのもおかしい。別のワインと取り替えてくれ。」

私「わかりました。」

……。

彼らは自らセラーへ向かい、今度はフランス産のリースリングを選びました。

Yann Durrmannのリースリングです。

酵母の働きによって生じた炭酸ガスが残る、こちらもまた個性的なワインでした。

それを口にした男性は、

「なるほど。君のお店はオーガニックワインのお店なんだね。」

と。

私「はい、そうです。私はオーガニックの栽培や造り手の哲学を、とても尊敬しています。」

すると、彼はさらにこう言いました。

「僕たちが思っていたものとは違うワインが出てきた。最初のワインはボトルで注文したけれど、もう飲まないし、実際にはグラス1杯分しか飲んでいない。だからディスカウントしてほしい。」

そのとき、カウンターのお客様方は皆さん怒っていました。

ですが、私はその申し出に応じることにしました。

彼らはお会計がずいぶん安く済んだことに満足した様子で、帰っていかれました。

そして、ほとんど手つかずのまま戻ってきたMOVIAのソーヴィニョン・ブラン。

私はそれをカウンターのお客様方に振る舞いました。

「美味しいね!」

皆さん、とても喜んでくださいました。

同じ1本のワインなのに。

ある人にとっては「ワインではない」と感じられ、ある人にとっては「とても美味しいワイン」になる。

この出来事は、今でも私の心に残っています。

さて、ここで皆さんも、さまざまなことを感じられたのではないでしょうか。

しかし、結論をお話しする前に、もう一つ、まったく別の出来事をご紹介させてください。

それは、先日、子ども2人を連れて市営プールへ行ったときのお話です。

現地に到着し、チケットを購入しようと券売機を眺めていると、後ろに並んでいたご年配の女性が突然話しかけてこられました。

「チケット、出してあげるわ。このプリペイドカードで買いなさい。私はもう80歳なんだけど、このカードにたくさんお金を入れてしまって、なかなか使い切れないの。だから、ぜひ使ってちょうだい。私も使ってもらえたら悩みが減って嬉しいのよ。」

なんと有難いことでしょう!

私はお礼を伝えました。

何かお返しをしたいと思ったものの、手元にお礼の品などありません。

そこで、自動販売機で飲み物を買ってお渡ししようとすると、

「いいのよ、お礼だなんて。私も無理を言っているわけじゃないの。あなたが有難いと思ってくれるだけで、こちらも有難いのよ。ありがとうね。」

と。

子どもたちと、とても温かい気持ちになりながら更衣室へ向かいました。

プールサイドに出ると、先ほどのおばあちゃんが私たちに手を振ってくださいました。

娘が言いました。

「良い人だね。」

「本当ね。」

そう答えました。

その後、子どもたちから泳ぎ方を教えてほしいと頼まれたので、レーンの端で練習を始めました。

子どもたちは夢中になるあまり、少し周囲の方に水しぶきをかけてしまいそうになりました。

そこで私は、

「上手に泳ぐコツはね、周りの人に迷惑をかけないように、大きく、静かに、落ち着いて泳ぐことを意識するんだよ。」

と伝えました。

すると、隣のレーンで水中ウォーキングをされていたご年配の男性が近づいてきて、こうおっしゃったのです。

「お母さんの教育で言いたいことも、よくわかるよ。でもね、人生は一回なんだ。好きに泳がせておやり。周りのことなんて気にしなくていい。それよりも、この子たちが泳ぎ方を身につけるまで、周りの大人が見守ってあげるべきなんだよ。」

そう言って、静かに去っていかれました。

子どもたちは初め、怒られると思ったようでした。

しかし、男性が去っていく姿を見ながら、こんなことを言いました。

「僕たちも、あんな大人になれるかな。」

私は胸がいっぱいになりました。

なんて素敵な一日だったのでしょう。

そして、ふと、数年前のフランス人との出来事を思い出したのです。

あのとき、私は自分が選んだワインを美味しいと信じていました。

フランス人の男性は、自分が知っているワインとは違うと感じ、それを受け入れることができなかった。

けれど、私自身もまた、自分の美味しいという価値観に自信を持つあまり、彼が何を求めていたのか、十分に理解できていなかったのかもしれません。

彼の言い方や振る舞いには、今でも賛同できない部分があります。

しかし、彼が美味しいと思うワインと、私が美味しいと思うワインが違うこと自体は、何も間違っていなかったのです。

プールで出会ったお爺さんも、私とは違う考え方を持っていました。

私は、周囲に配慮できる子どもに育ってほしいと思っていました。

一方で、お爺さんは、子どもたちが失敗を恐れず、自由に挑戦できることを大切にしていました。

どちらも、子どもたちを思っての言葉だったのです。

そして、あのお爺さんは、私の考えを否定することなく、別の価値観をそっと差し出してくださいました。

私はそこに、人としての大きな豊かさを感じました。

自分の正しさを押しつけるのではなく、相手の考えを尊重しながら、自分の知らなかった世界を受け入れてみる。

それは、私たち日本人が古くから大切にしてきた「和」の精神にも通じるものがあるのではないでしょうか。

もちろん、周囲への配慮を重んじるあまり、自由な表現を抑えてしまうこともあるでしょう。

しかし、本来の「和」とは、皆が同じ考えになることではなく、異なるもの同士が互いを認め合い、調和することなのかもしれません。

そして、もう一つ。

プールで出会ったおばあちゃんの言葉も忘れられません。

「あなたが有難いと思ってくれるだけで、こちらも有難いのよ。」

誰かに何かをしてあげること。

誰かの厚意を素直に受け取ること。

そのどちらにも、喜びがある。

見返りを求めるわけでもなく、ただ、相手が喜んでくれることを自分の喜びにできる。

私は、こうした心の在り方にこそ、人と人との間に生まれる「ご加護」のようなものを感じます。

ご加護というと、神様や仏様から授かる特別なもののように聞こえるかもしれません。

けれど、日々の暮らしの中で誰かの優しさに救われたり、思いがけない出会いから新しい価値観を授かったりすることも、一つのご加護と呼べるのではないでしょうか。

そして、それはワインの世界にも通じています。

ワインには、土地があり、気候があり、造り手の思想があり、歴史があります。

澄んだワインもあれば、澱をたっぷりと含んだワインもある。

華やかな香りを放つものもあれば、初めて出会う人を戸惑わせるような個性を持つものもある。

けれど、その違いをすぐに優劣へと結びつけてしまえば、私たちはどれほど多くの素晴らしい出会いを逃してしまうのでしょう。

自分の知っている美味しさだけを正解にしてしまうのは、あまりにももったいない。

ここで、男性が口にした「シェリー」というお酒について、少しだけご説明させてください。

シェリーは、スペイン南部のアンダルシア地方で造られる酒精強化ワインです。

まず、ブドウを収穫して発酵させ、通常のワインを造ります。その後、造り手が目指すスタイルに応じて、ブランデーなどの蒸留酒を加え、アルコール度数を高めます。

シェリーの大きな特徴は、その後の熟成方法にあります。

フィノやマンサニージャと呼ばれるタイプでは、樽の中にワインを満たしきらず、液面に空間を残します。すると、ワインの表面に「フロール」と呼ばれる酵母の膜が形成されます。

このフロールがワインを空気から守りながら、ゆっくりと働きかけることで、アーモンドやパン、青リンゴ、海のようなニュアンスを持つ、独特の香りと味わいが生まれます。

一方、オロロソのようなタイプは、フロールが生育できないほど高いアルコール度数に調整され、酸化熟成によって、ナッツやカラメル、ドライフルーツを思わせる豊かな風味を身につけていきます。

また、シェリーの熟成には「ソレラ・システム」という独特の方法が用いられます。

これは、異なる熟成年数の樽を何段にも積み重ね、最も古いワインが入った一番下の樽から少しずつ瓶詰めし、減った分を上の樽から補充していく方法です。

こうして、若いワインと長い年月を経たワインが少しずつ混ざり合い、味わいの一貫性が保たれていきます。

つまり、シェリーは単に「酸化したワイン」ではありません。

酵母の膜のもとで熟成するのか、酸素に触れながら熟成するのか。

どの程度アルコールを高めるのか。

どのような熟成を経るのか。

その違いによって、さまざまな個性が生まれます。

だからこそ、シェリーに似た香りや味わいを感じたとしても、それだけで「シェリーそのもの」と決めつけることはできません。

ワインには、似た香りを持つものがたくさんあります。

酵母や熟成、酸化、還元、澱との接触など、さまざまな要素が重なり合うことで、私たちが知っている言葉だけでは簡単に説明できない表情が生まれるのです。

ワインを知るということは、単に品種や産地、醸造方法を覚えることではないと思っています。

自分とは違う土地に生き、違う価値観を持つ人々の世界を、一杯のグラスを通して知ろうとすること。

それこそが、私にとってワインを飲むことの大きな喜びです。

思えば、あの日のMOVIAもそうでした。

フランス人の男性に受け入れてもらえなかった1本が、カウンターのお客様方を笑顔にしてくれた。

もし、あの男性が最初から気に入って飲み干していたら、その場にいたお客様方とあのワインの美味しさを分かち合うことはなかったでしょう。

そう考えると、あの出来事さえも、少し違った景色に見えてきます。

もちろん、あのときの男性の振る舞いが正しかったとは思いません。

それでも、あの日の経験があったからこそ、私は今、こうして皆さんにお話しすることができています。

人生も、ワインも、思いどおりになることばかりではありません。

けれど、目の前の出来事をどう受け取り、そこから何を学ぶかは、自分自身で選ぶことができます。

自分の価値観を大切にしながら、他者の価値観にも敬意を払う。

誰かの厚意を有難く受け取り、自分もまた、誰かに喜びを分け与える。

そうして生まれる小さな幸せの循環が、やがて自分自身の人生を豊かにしてくれるのではないでしょうか。

あの日、プールで出会ったお爺さんのように。

誰かの可能性を否定せず、静かに見守れる大人でありたい。

そして、麻ときもまた、そんな場所でありたいと思っています。

知らない味に驚いたり、時には首をかしげたり。

「これは美味しいね」と笑い合ったり。

「私はちょっと苦手かな」と正直に話したり。

そのすべてが許される場所。

誰かの正解を押しつけるのではなく、それぞれの美味しいを尊重できる場所。

違うからこそ、面白い。

違うからこそ、分かち合う喜びがある。

そして、その違いを楽しめる心を持つ人のもとには、きっとまた、新しい出会いと幸せが巡ってくるのでしょう。

ワインも人生も、まだまだ知らないことばかり。

だからこそ、面白いのです。

今日もまた、誰かにとっての素晴らしい一杯に出会えますように。

そして、皆さまの日々にも、ささやかなご加護がありますように。